こんなん書きました。

日々の雑感をつらつらと。あるいは手に入れたアイテムのオススメなポイント、運用方法などをご紹介してみたり。

もうすぐ3月11日だ。

私はあの日、たまたまベトナムにいたために、その揺れを、混乱を、直接には体験していない。日中は40度近くも気温の上がるなか、4月からそこへ移住することを決めた友人とともに、その新居となる物件を延々と探しまわっていたのだ。
日中はマンションや一軒家をいくつも見て回り、ホテルへ戻ったら、インターネットで情報収集。
街中で見かけるテレビはどこも津波の映像が常に流れている状態で、仙台に住む叔父一家どころか、東京にいる母や妹ともなかなか連絡はつかず、焦燥感だけが募っていった。
あのときに日本にいなかったことで、その後しばらくは、いや、今でも罪悪感のようなもやもやした感情を抱き続けている。
もうすぐ、3月11日がやってくる。 
 
花粉症だと思い込んで病院に行ったらインフルエンザだった、という釣り友達が、病床のなかで読んだ本について、blog。

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どうにもやり場のない激烈な感情をどう処理するか。
現実に対する認知のうえで「怪異」がそのシステムとして機能する、みたいなことは、確か京極夏彦も小説のなかで、
「この世には不思議な事など何もないのだよ、関口君」
と書いていた気がする。
無学な私が思うにおそらくは「宗教」って本来、そういうものなのだろう。
ただ、八百万の神がいて、神仏混淆を経たうえ、カルトなあれこれの社会的影響を目の当たりにしてきた今の日本では、「宗教」というラベルはなかなかにフクザツな意味と色合いを帯びていて、上手く役割を果たせずにいる。
だからこそ人は21世紀の今も霊を見るのだろう。
 
この本は刊行前からFacebookを中心に早川が他の本とは違う抜きんでたアピールをしていて、気になっていたのだが。
読むのにちょっと、心構えが必要だよな、と未だに手に取れないでいる。
そうか、やっぱ泣いちゃうか。泣いちゃうのか。
ますます踏み切る勢いが必要になっちゃうな。