こんなん書きました。

日々の雑感をつらつらと。あるいは手に入れたアイテムのオススメなポイント、運用方法などをご紹介してみたり。

発掘されたメモリーカード。

コンパクトなデジカメはキヤノンPowerShot G10とG12を除いては釣り場で使えるよう、防水なものばかりを使ってきた。
G10は趣味に仕事に大活躍してくれて、釣り場へも持ち込んでいたのだけれど、ある日、フラッシュが動作しないことに気づいてサービスへと持ち込んだ。
仕事でも使っていた道具だから、G10の修理を進めつつもあわててG12を購入し、その後に戻ってきたG10はといえば、「内部の基盤が腐食している」と修理不能の判定。
温泉が湧き出るそのわきで釣ったり写真を撮ったりってことをわりと何度もやっていたために、硫黄分にやられちゃったのかな?なんて想像している。
やっぱり水辺に持っていくなら、それを考慮して設計されたものに限る。
 
PowerShotに行く前は、PENTAXのカメラを愛用していた。
当時の防水カメラはレンズがボディの隅に配置されているものがほとんどであるなか、PENTAXだけはほぼ中央に配置するというデザインを守り通していたからだ。
素数が物足りなくなって使うのをやめてしまったり、室内など光量が少なめの場所での写りがどうにも納得いかなかったり、壊れたり。
PENTAXの古いコンパクトは売ったり捨てたりたいてい処分してしまったものの、ボディのコンパクトさや写りのバランスがよくて気に入っている、「Optio WPi」という機種だけは手元に残してある。
仕事道具の探し物をしている際に目についてふとボディを開けてみると、抜いたと思い込んでいたバッテリーもSDカードも入ったままだった。
バッテリーは当然のように膨らみかけていて取り出すのにだいぶ苦労した。本体側への影響はないようなので、そこは幸い。
  
SDカードの容量は1GB。
これだけで時代の流れを感じてしまう。
写真のタイムスタンプを見てみると、2005年から2008年くらいのものが多かった。
ほかのカメラを手に入れてからもメモ代わりにマクロ機能なんかを利用していたから、新しいものだと2015年くらいの写真もある。
 

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芯を伸ばした0.5mmなシャープペンシルのペン先と並べてあるルアーは、もう亡くなって10年以上が経つ松本功さんの遺作、HOTSHOTだ。
ルアーの大きさは、45mmかな。
シャープペンシルの芯の直径が0.5mmであることを考えると、背中にほどこされた編み目の塗装がどれだけ細かなものかがわかる。
実のところ、今も川へと持ち込み、釣りに使っているのだけれど、絶対になくせないからこわごわと使っているだけなので、なかなか釣果に結びつかない。
美しいだけでなく、ルアーとしての性能も素晴らしいのに、それを活かせていないのはなんとも不甲斐ない話である。
 

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釣りの写真は、ベトナム通信社のソンさんなんかと東京湾でボートシーバスを楽しんだときだ。
タイムスタンプは、2011年10月23日となっている。
ベトナムから来たソンさんになんとか東京湾のシーバスを釣らせたくて、Withさんおお世話になったのだ。
 

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大きいサイズこそ釣れなかったが、小さいのが大爆釣。

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ソンさんにはルアーについた2つのフックに別々の魚をかけるという珍事も発生し、楽しい1日となった。

 

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味覚と嗅覚、遺伝子の話。

記事からは「猫」だけなのか「ネコ科の動物全般」なのかがいまいちハッキリしないが、猫は甘味が感じられないんだそうな。

gigazine.net
味覚とか嗅覚って、遺伝子の影響をけっこう受ける。
猫が甘味を感じられない、というのも持っている遺伝子から証明された話であるようだ。
 
これはもちろん人間にも当てはまる。
たとえば、アスパラガスを食べた直後って、その代謝物で直後の尿はものすごく独特なニオイを発する。
ところがこれ、ヨーロッパではどうやら1890年代から「臭う」「臭わない」と論争になっていたらしい。
なんでそんな論争が起こっていたか、といえば、その人が持っている遺伝子によって、そのニオイを感じられるかどうかがきっちりわかれてしまうから、なのだ。
このニオイはけっこうはっきりとしたもので「臭う気がする」とかっていう中途半端な状態がない。それがまた、論争に拍車をかけたんじゃないだろうか。

diamond.jp 
このアスパラガスを食べた後の尿のニオイ、日本ではあんまり話題になってこなかった気がする。
まぁ、尿のニオイの話なんて、日本人の気質的にあんまりしないよね。
前述の記事は2016年に発表されたアメリカでの研究論文をベースにしていて、そこでは“男性の58%と女性の61.5%が「アスパラガス嗅覚障害」の持ち主だと判明”とある。
つまり、そもそもが男女ともに半数以上がこのニオイを感じ取れないということになるわけだ。
しかも、どうもその後の研究でこのニオイを感じ取れる遺伝子がはっきりと特定されたらしい。
 

genequest.jp  
このページを見ると、「アスパラガスを食べた後の尿には独特な臭いがあると感じる人が約20%いるとされています」とある。このサイトの性格上、「日本人では」ということだと思うんだけれども、2割の人しかこのニオイがわからないみたい。
2016年の論文に出てる数字の、さらに半分。
つまりはこれが日本でこの件が話題に上らなかった理由のひとつかもしれない。
日本ではニオイがわかる人のほうがかなり希少なのだ。
 
ちなみに私はこのニオイがわかる人。
もうひとり、ニオイを感じられる人を知っている。高校時代の級友だ。
高校のときにトイレの後にそう言ってたことを今でも覚えているので、間違いない。

暑くなってくると辛いもの、食べたくなるよね。

スコヴィル値」という単位がある。
それぞれの食品、まぁ、食品でないものでもいいのだが、どれくらい「辛い」のかを数値化したものだ。
1912年にウィルバー・スコヴィルさんという化学者が考案したので「スコヴィル値」と呼ばれるワケだが、当初は人が実際に舌で味わってその数値を算出していた。
しかし、これではあまりに主観的で客観性がない。
そこで、今では味覚の「辛さ」を左右するカプサイシンという物質を機械で測定し、これを元に算出した数字が用いられている。
それぞれの食品がどれくらい辛いのか、このスコヴィル値を見ることで、カンタンに比較ができるワケだ。

これによると、ハンバーガーなどに入れられるハラペーニョは2500~8000。
「鷹の爪」「唐辛子」「カイエンペッパー」などとして身の回りに流通している“唐辛子”は3万~5万。
タイ料理なんかで使われるブリッキーヌーは5万~10万。
お菓子なんかで近年、とても知名度を上げているハバネロは、種類によっても違うのだが、だいたい10万~60万。
もうこの辺りまで来るとスゴい数字なワケだが、一時期「世界一辛い」と話題になったブートジョロキアになると、100万。
さらにそのブートジョロキアを抜いて現在世界一となっているキャロライナ・リーパーともなると、155万~220万というから、上にはトンデモナイ世界が広がっているのが、激辛道なのだ。
 
素材としてのスコヴィル値はこんな感じ、なんだけど、これが製品に活かされると、かなぁりマイルドなものになってしまう。
特にハバネロは顕著で、たとえば、タバスコブランドのハバネロソースはなんと7000~8000。スーパーに売ってる唐辛子より遙かに下だ。
ハバネロを使ったソースはタバスコブランド以外からもいろいろ出ていて、もっと辛いものはたくさんある。
が、基本的に、フルーツソースなんかと合わせたものがとても多い。
辛さと同時に、いろんな味が加味されることになるのだな。
これは想像でしかないんだけれど、ハバネロって、おそらく突き抜けた辛さはいいんだけど、野菜としての“味”がよろしくないんだと思う。
いわゆる「唐辛子」ってけっきょくはナス科トウガラシ属の“植物”なワケで、ピーマンやシシトウなんかと近く、独特の苦味を伴っているものが多い。
おそらくハバネロはその辛さ以外に、何かで誤魔化さないと済まされない雑味みたいなものがあるんじゃないだろうか。

私の場合、近年はあまりペッパーソースの類いを使うことがなくなった。
たとえばもっとも代表的な存在といえるタバスコソースは酢で岩塩と唐辛子を煮込んで作るため、辛さだけでなく、塩味と酸味まで追加されてしまう。
望みの辛さまでかけると辛さよりも塩味と酸味で味のバランスがたいへんなことになってしまう。
だいたいのペッパーソースはこういう傾向があると思う。
やっぱり料理に辛さを追加したいと思ったら、一味唐辛子がベストだろう。
なかでも私が愛用している八幡屋礒五郎の「BIRD EYE」は最高だ。

www.yawataya.co.jp
これは文字通り「バードアイ」っていう唐辛子を使った一味唐辛子
バードアイのスコヴィル値は、というと、10万~23万くらい。
唐辛子って、育てる土とかでも辛さが変わるらしく、伝え聞く数値の幅がとても広いものが多いだが、このバードアイもそう。
ものによって倍くらい辛さが違う、てことになる。
まぁ、それでもわりとハバネロに近いくらいの辛さ、ということは言えるだろう。
ちなみに前述のリンク先にもあるように、八幡屋礒五郎の「BIRD EYE」は、同社の「一味」の「3倍以上」を謳っている。
乾燥させて刻み、「一味唐辛子」として仕上げる段階でどれほど辛さが落ちているのかはわからないが、いずれにせよ、ハバネロを使ったソースのような混ぜ物はない。
 
料理にもよるが、辛くしたい料理にはこの「BIRD EYE」をどかどかと振ってしまう。
これだけかけちゃうのは、辛さが欲しいだけでなく、たくさんかけたときに辛さの向こうに見えてくる、バードアイの“味”が好きだから、ということもある。
素材としての唐辛子の味がわかること。これが私が「BIRD EYE」を気に入っている最大のポイントなのだ。
そう、「BIRD EYE」、辛いだけじゃなくて、美味しいんだよ。

笑顔。

以下は5年前の今日、Facebookで書いていた話し。
 
ルアーフィッシングはひたすらに「投げて、巻く」っていう動作を繰り返す。
この「投げる」っていう動作の分だけ、ふつうのエサ釣りよりも若干、子供には習得が大変なんだよね。
でも、そこを乗り切って「子供ひとりでも楽しく投げられる」ようになると、おそらくは子供のほうが、魚を手にできるまでの時間は平均して大人より短いんじゃないかと思っている。
というのも、オトナはいろいろ考え過ぎちゃうんだな。
 
エサだったら「食べられるものだから魚がいれば食ってくれる」と自分を納得させることができるけど、ルアーってけっきょくは木やプラスチックの塊だから、そうはいかない。
「リールを巻くスピードが早/遅すぎるんだろうか?」
「ルアーが状況にあってないんじゃないだろうか?」
「ルアーの色が悪いのかな?」
「そもそもこのルアーで釣れるのか?」
なんて疑心暗鬼に囚われて、あれやこれや、どうしても攻め方を変え、それがけっきょく釣果を遠ざけてしまったりする。
でも、子供は、違う。
「釣れるから」って言葉といっしょに道具を渡されたら、言われたことを実行するだけ。
疑念よりも遙かにおっきな期待感に支配され、基本を忠実に守り続ける。
だから、結果的に魚により早く近づけることが多いように思う。
 
オトナになって覚えた釣りは、頭でいろいろ考えることが楽しい。
「なぜラインのこの位置にオモリを着けるのか? オモリの位置を変えるとどういう影響があるのか?」
「どうしてこの釣法にはこういう調子の竿が向いているとされるのか?」
「現在の水温だと、魚はどんな位置についているのか?」
釣る前も、釣っている最中も、釣った後も、釣れたときはなぜ釣れたのか? 釣れなかったときはなぜ釣れなかったのか? あれやこれや、あーでもない、こーでもないと考える。
釣れないと悔しいけど、その悔しさを噛みしめながら、いろいろ考えるのがまた、楽しい。
でも、いくら考えたからって、それが釣果に直結するワケじゃ、ないのだね。
  
それにしても、だ。
この子が浮かべる「満面の笑み」と言ったら。
子供がこんな表情を浮かべるその瞬間に居合わせるって、きっとスゴい、スゴいシアワセなことだろうと思う。

謎解きイベントに挑戦してみた。

先日のことだけれども、西武線鉛線を舞台にした謎解きイベント「WEST CODE ~鉄道で巡る秘密の宝の物語~」に参加してみた。
 

www.takarush.jp 
基本的に参加費は無料。西武線の各駅で配布しているパンフレットを入手すれば、すぐに参加することができる。
ただ、問題を解くには実際に西武線のいくつかの駅へ行き、改札を出てそこにあるものを手がかりに謎を解く必要がある。
 
そこで、西武鉄道ではこの謎解きイベントに参加するための1日フリー乗車券を発売している。西武池袋線西武新宿線、さらに多摩湖線やら国分寺線まで含めたすべての駅で乗り降りし放題。価格は900円。
このフリー乗車券、べつに謎解きに参加しなくても誰でも買えるところが素晴らしい。そう考えるとえらいお得な価格設定だと思う。逆に、謎解きをやるのにこれがないと電車賃がけっこうかかってしまうので、そういう意味では実質的に900円が参加費ってことになる。
私も駅の自動券売機でフリー乗車券を買ってから謎解きを開始した。
 
この謎解きには、
 新の書
 宿の書
 池の書
 袋の書
と4つのコースが用意されている。
西武新宿線で2コース、西武池袋線で2コース、というわけだ。
 
それぞれ小冊子を読むだけで、まずどの駅に行き、何をすればいいのかがわかる。4つともまずは解いてみて、いちばん行きやすいところへ行くのがいいだろう。
 
ちなみに謎が解けた人はプレゼントの応募資格がもらえる。
どれかひとつのコースを解きさえすれば応募の資格は手に入る。ただ、すべての賞品への応募資格を手に入れるためには、4コースぜんぶを解き、そのうえでもうひとつの最終問題をクリアしないとダメ。
 
自分がどの駅から電車に乗ってどのコースを解くかにもよるけど、ひとつのコースを解くだけなら、たぶん1~2.5時間ってところで解ける。
私はぜんぶを解くのに6時間ほどかかったと思う。
ただ、行った先々の駅で買い物したり、休憩したりって時間も含めてのことなので、早解きを目指すなら、もっと短縮はできるはず。
 
以前やった「コンビニナゾトキ CASE01 何故スカーレット婦人は消えたのか?」に比べるとそれぞれの問題は少しだけカンタンだったけれど、今回のは移動距離がけっこうあって、そこがまた別のおもしろさにつながっている。
うまいのはその駅にあらかじめ設置されているオブジェだったり、掲示物だったりを謎の一部として使用している点。
それぞれの駅にはこの謎解きのために改めて追加したものはないのだな。
「コンビニナゾトキ」のときは、専用のポスターが貼ってあったりしたけれど、今回のほうが問題としてよくできていたと思う。
 
blacklabel.takarush.jp
いや、「コンビニナゾトキ」は小道具がいっぱい登場して、あれはあれでおもしろかったんだけれども、あえてそれとは違う謎を用意した感じがいい。
 
で、今回もまた、最後の謎に用意されたどんでん返しみたいな部分がすごくよくできてた。
「コンビニナゾトキ」の経験があるから「タカラッシュの謎解きはそう素直には終わらない」と身構えていたけれど、やっぱり、って感じ。
最後の問題がすぱぁっと解けた瞬間の開放感はなんともいえないものがあったよ。
 
けっきょくノーヒントで最後まですべての問題を解くことができた。
もっとも、これは2人で挑戦したから、という気もする。
行き詰まったときに互いの発想の違いがクリアにつながった、という局面がけっこうあったからね。
  
今まで2つの謎解きに挑戦してみて、どっちもとてもおもしろかった。
ちょっとほかのイベントにも積極的に参加してみようか、なんて気になっている。

「THE MENTALIST/メンタリスト」にまつわる思い出。

チョコレートを食べてて、そういえば、とかつてFacebookに書き記した一文を思い出し、掘り起こしてみた。
 

「THE MENTALIST/メンタリスト」は海外ドラマ私的ランキングのかなり上位に入る作品のひとつだ。
7つのシーズンに渡って放映されたこのドラマには、素敵なエピソード、シーンがたくさんあって、なかでも私がお気に入りのもののひとつに、こんなやり取りがある。
 
主人公であるパトリック・ジェーンがチョコバーを食べながら、PCのビジュアルチャットを通じ、画面のなかの涙に暮れる少女に話しかける。
「やぁ、聞こえる? イザベル?」
彼女は訳あってこのビジュアルチャットを通して自分の母親が死ぬ瞬間を目の当たりにしたばかりだ。
「あなたは?」
「ジェーンだ。犯人を捜している」
「よかった。犯人を殺して」
「できるならね」
ジェーンが返したおざなりにも聞こえる返事に、話にならないといった表情を浮かべてカメラから視線をそらすイザベル。
そんな彼女にジェーンはこう言葉を続けていく。
「パソコンから離れた方がいい。近所に友達は?」
「母のそばにいたい」
ジェーン側のPCの脇には、命を失ったばかりの彼女の母、アリシアが床に横たわったままなのだ。
イザベルの言葉を噛みしめるジェーン。
彼には、自らの軽率な行動から、自分の妻と娘を連続殺人鬼の手によって失ったという過去がある。
しばらくの間をおき、ジェーンは手にしたチョコバーを口に持っていきながら、こう言うのだ。
「チョコバーはある?」
「何が?」
「チョコだよ。こういうときはオススメだ。もやもやした感情が吹っ飛ぶし、砂糖で元気になれる」
呆れたように、そして悲しみとわずかな怒りを込めて、イザベルが返す。
「母が死んだのよ?」
その言葉を受け止めるジェーンの目に、笑いはない。
「悲しいときに食べるチョコレートは別格だ。
 いつもより味わい深いし、感動する。
 何でもそうだろうね。生きている実感も増す。それを忘れないように。
 大切だ」
「……そうね」
「君に頼みがある。パソコンを消して起きたことを友達に話して」
訝しげな表情を浮かべるイザベル。ジェーンの言葉は、それでも少しずつ彼女の心へと染み込んでいく。
「今すぐに」
パソコンを閉じ、ビデオチャットを終えるイザベラの顔に、もう涙は流れていない……。
 
シーズン2第16話「コード・レッド」の一幕だ。
ここでジェーンが食べているチョコバーは、捜査現場に軋轢を生んで事情聴取から追い出されるときに、雇用主である捜査機関の女性警察官に1ドルをたかって買ったもの。
生真面目すぎる人間をからかい、怒らせ、それでも飄々としたジェーン。そんな姿が続いた後に、前述のシーンは描かれる。
ジェーンが少女に与えた、突拍子もなく思えるアドバイス
しかしそれは、もしかしたら……。
妻と娘を惨殺され、ひとり残されたジェーンにもまた、ふと口にしたチョコバーの甘さに救われたことがあったのかもしれない。
そして、殺人現場にまったく不似合いなチョコバーをジェーンがかじっていたのは、イザベルにすすめたのとまったく同じ理由、つまり、自らが感じている悲しみを紛らわせるためだったのではないか。
 
前述のシーンはそんなに長くない。
しかも、さらりと流れていく、なんでもない一幕なのだ。
だが、見終わった後、しばらく、どころか、今でも私の心に残り続けている。
やるせない喪失感、悲しみにどう向き合うべきか。
いざそのときを迎えたら、自分もチョコバーを食べるのだろうか。
ジェーンのアドバイスに従って、心情を誰かに打ち明けるなんてことができるだろうか。
昨晩ふと目にした一言から、またこのシーンのことを思い出し、いろんな思いが頭を駆け巡っている。
長らく続いた雨のせいか、どうも自分で思っているよりも、心身のバランスがよろしくないみたいだ。
 
パトリック・ジェーンというキャラクターについては、語りたいことがいっぱいある。
気が向いたときに、書き記しておきたいとは思っているのだが。さて。
 
ちなみに「THE MENTALIST/メンタリスト」は、Amazon primeの会員なら「Amazonビデオ」でファイナルシーズンを除いてすべて無料で見ることが可能だ。
吹き替え版ではパトリック・ジェーンの声を郷田ほづみが当てている。
郷田ほづみは「ウソップランド」の頃から大好きな人ではあるが、このドラマだけはどうにもミスマッチな感が拭えない。
「THE MENTALIST/メンタリスト」を見るなら、特に初回はぜひ字幕版で、パトリック・ジェーンを演じるサイモン・ベーカーその人の声とともにドラマを楽しんで欲しい。

  
書いたのは2017年8月21日だそうだ。
きっかけとなった「昨晩ふと目にした一言」は今では思い出せない。
ちなみに今ではファイナルシーズンもprime会員なら無料で見られるようだ。

BARBEE BOYS「負けるもんか」の歌詞に思うこと。

前にFacebookかどこかにも書いたんだけれども、2000年くらいを境にヒット曲の「歌詞」ってめっきり「情景」を描かなくなったように思う。
観念的な思いを訴えるものばかりで、シーンが描かれないものが増えた。
逆に言うと、それ以前の名曲って、目の前に歌われている光景がその人なりに鮮やかに甦るものが多かった気がするのだな。
その光景から聴く者は登場人物たちの想いを知る、というような構造。
たとえば爆風スランプ「月光」とか「大きな玉ねぎの下で」とかね。
BARBEE BOYSもそんな男女が絡んだ情景から登場人物たちの情念みたいなものが沸き立ってくるような曲が多い。
これはきっとコンタと杏子さんていう男女のツインボーカルていう形式も大きく影響していることではあるのだろう。
で、「負けるもんか」。
これは杏子さんが歌うところの女性の“言葉”から聞く者の脳裡に光景が浮かび上がり、つい引き込まれてしまう。その展開がなかなか見事だ。
ただね。
 

近くまで来てるのよ、泊めてくれる?
いきなりで悪いけど帰れないの。
ねぇ、いいでしょ? コインがないわ。
詳しく話すから着替えでも探してて。

(「負けるもんか」バービーボーイズ/作詞:いまみちともたか

  
この一節、「コインがないわ」っていう一言からおっさんおばさんには電話ボックスのなかで受話器に語りかける女性が思い浮かべられる、と思うのだけれど。
今の子はきっとさっぱりわからないか、ぜんぜん違う光景を思い浮かべちゃうんだろうね。
そう考えると、やっぱり「光景を描く歌詞」の場合、時間が経過したときに世代に対しての訴求力に違いてものがどうしても出てしまうのは認めざるを得ないよね。
 
貼り付けた「負けるもんか」のライブ映像は、彼らが1988年8月22日に行った東京ドーム公演のライヴ・フィルム『BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22』からのもの。
今度の10月28日には1日限定のプレミア上映が全国の映画館で行われ、新宿のはチケットを買ってある。今からとても楽しみだ。
 
しかしこんなにも好かれる男すごいな。
そしてあまりにもドロドロ。

 

 

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